空飛ぶキリンとお茶会

The most beautiful thing in the world is, of course, the world itself.



フライングジラフ名義でボーカロイドの作品をニコニコ動画に投稿しております。
ミクさんやゆかりさんをはじめ、GUMI、IAなどを使用します。
民族音楽やポストロックなどを好んで聴き、そして、作ります。
もっとメロディアスな音楽を。もっとおかしな音楽を。
―ちょうだい。
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象さんが好きです、でも、きりんさんのほうが

こんにちは。

ゴールデンウィークですね
今週有休を上手く使えば2週間くらい休めますね。

29日はお休み、ということで、
友人と秋葉原〜上野をぶらぶらしていました。
何故か上野動物園にも迷い込んだので、
動物達の写真をアップしておきますね。

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最後のパンダくんはカメラ目線決めてくれました。

それでわ。



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少しも寒くないわ

こんばんわ。

アナと雪の女王を観てきました。音楽が素晴らしかったです。
観賞は日本語吹き替えでしたが、吹き替えもなかなか完成度が高く、
観ていて特に飽きずに楽しめました。

雪だるま作ろー。
音楽で時間跳躍をするのは手法としてよくありますが、
このメロディーが曲中で何度か登場し、
特にラストシーンでファンファーレのようにこのメロディーが鳴ったときは、
何とも言えないカタルシスが味わえます。

「生まれてはじめて」もミュージカル調でいいですよね。
これはザ・ディズニーって感じだなぁ。
神田沙也加さんも歌うまいよね。のびのびしていて。
アナとエルサの光と影の掛け合いがなんとも悲しいですが、
ふたりは生まれてはじめての体験をすることに関しては共通ですが、
アナは前向きに、エルサは後ろ向きにその事象を捉えています。



松たか子さんのうたう日本語版「レット・イット・ゴー」が化け物みたいな音楽でしたね。
ディズニーらしさもあり、洋楽ポップの王道でキャッチーなメロディー。
「少しも寒くないわ」のメロラインは最高過ぎて泣けてきます。
再生数すごいな笑

というわけで、ミュージカルを観に行くと思っていけば、
音楽はもちろん、映像の美しさもハイレベルなので、楽しめること間違いなし。

ストーリーは期待しないでください。
ラストはディズニーお得意のハッピーエンドに向かうため、
ご都合主義が過ぎる解決法を見せつけられますので。
でも、「真実の愛」を旧ディズニー定番の王子様に託さなかったのは救われた。
ディズニーも現代向けにちゃんと工夫している。

とりあえず、映画館に音楽を聴きにいくだけでも元は取れるので。
おすすめです。



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「すみっこの空さん」を読みまして

こんにちは。

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すみっこの空さんという漫画を読みました。
ジャンルは、「よつばと!」「リューシカ・リューシカ」をはじめとしたほのぼの系です。

主人公は人間ではありません。
ペットの亀の視点となって登場人物の生きる日常を観察する感じです。

亀の名前はプラトン
プラトンと言えば、ソクラテスの弟子、アリストテレスの師。
そう、古代ギリシアの哲学者の名前ですね。

プラトンのご主人様は夢破れて田舎へ越してきた男性。
本編では本名は明かされていませんが、
お隣に住む少女幼女・空さんから何故か「神様」と呼ばれることになります。

空さんが名前を教えてくれるときに「空です!」と言いました。
それをプラトンは「ソラテス!」と聞き間違えます。
そうです、プラトンは空さんのことをソクラテスだと思い込んでしまったのです。


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哲学者の名前が出てくるので何となく察すると思いますが、
この漫画では哲学的なお話が繰り広げられます。
空さんとプラトン、そして周りの人々が見つける小さな哲学。
でもそれは大きな発見なのです。

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各話に一つ以上、偉人の名言がそのまま記載されています。
その話を締めくくるたった数行の言葉が何故か胸に響くのです。

それにしても、空さんはコナンくん並に年齢偽ってる感がありますね。
一体何者だよ、って感じです。

それでわ。



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「紫色のクオリア」を読みまして

こんにちは。

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「紫色のクオリア」という作品を読みました。
素晴らしかったです。
イラストだけ見れば、百合百合したお話なのかと思いますが、
そんなことはなかった、SFジュブナイルの傑作でした。

少女・波濤学は偶然のきっかけから、
紫色の瞳をもった少女・毬井ゆかりと親友になる。
ゆかりの見る世界は常人とはズレており、
学や周囲の人間が"ロボット"に見えているのだそうだ。
その能力で警察に協力することもあり、
あるとき、学は事件に巻き込まれ、左手を負傷するが…。


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ここまでだと普通の日常ものやバトルものの導入ですが、
警告しよう、 ──ここから、物語は、急転する。
続きは、自分で読んでみてください。後悔はないと思います。


「バックトゥザフューチャー」をはじめ、
SFというジャンルにわたしは恋焦がれるようです。
タイムトラベルや宇宙が特別好きというわけではないですが、
わたしにとって、SFは突き詰めてしまえば哲学になってしまうのです。

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■ どこがはじまりなのか…という疑問

タイムトラベルものやタイムリープものでよく聞く「タイムパラドックス」。
例えば、「未来の自分」が過去に行って、「過去の自分」を殺したとき、
「未来の自分」はすでに存在しないわけだから、過去の自分を殺すという事象も消え去るべきだ。

きっと納得できる答えは出ないだろう。
これはひとつの世界線・タイムラインで考えてしまうからパラドックスなのである。
堂々巡りから抜け出すためには、多世界解釈(パラレルワールド)が一番腑に落ちる。
そう、「未来の自分」が殺したのは、別の世界の「過去の自分」なのかもしれない。

多世界解釈を認めるということは、無限の可能性を認めることになる。
人間ではないわたしだって、存在する可能性はある。
すでに死んでしまっていて、現代ではわたしは生きていない可能性もある。
すべての自分はきっとどこかでリンク(繋がって)しているような気がする。
わたしは22歳の会社員だとも言える。
わたしは15歳の高校生だとも言える。
わたしは0歳の赤ん坊だとも言える。
そう考え始めると、どこが始まりなのかわからなくなってしまうのだ。

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■ 「観測される」のはどの過程…という疑問

量子は、誰も観察していないときには「波」になって、
誰かが観察しているときは「粒」になる。


観察されるまでどちらか決定されない。
観察されるまでは、「波」と「粒」がどちらも可能性として存在している。

量子というのは物質を形作っている原子などの物質の単位。
人間の身体も量子でできている。
つまり…、人間も可能性として存在していると言えるのではないか。

いつ誰が観測しているのか。
いつ誰を観測しているのか。
その可能性はいつ確定されるのか。

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学は無限の可能性を利用していろいろと無茶なことをするのですが、
それもまた可能性として存在しているわけで、なかったことにはならない。
「紫色のクオリア」は小説なのです。だから物語のはじまりと終わりが必要なのです。
でも、本当ははじまりも終わりも存在しないのだと思います。

物語の過程で自分が見てきたすべての可能性は、可能性としてそこに消えず存在している。
自分がそれを観測し、あるひとつに確定したとしても、
それを改めて観測し直すことだって、できるはずなのです。
可能性は無限なのだ。無限について記すにはここでは余白が狭すぎる。

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■ 現在について

「シュタインズゲート」や「魔法少女まどか☆マギカ」なども
SFとしてかなりおもしろい作品ですので自分は大好きです。
ただ、「紫色のクオリア」で学が提案した『過去と未来』についての解釈はおもしろかった。

「現在のわたし」が「分岐の始点」になるのよ。

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先程の「どこがはじまりなのか…という疑問」の答えなのだろう。
はじまりは今この瞬間だ。
「過去」も「未来」も「今この瞬間」の自分が可能性の中から選択したものだということ。
そして「今この瞬間」とは0.000000001秒よりも更に小さな単位で変化するものなのだろう。
それは人間の思考回路ではショートしてしまうので考える必要はない。
「今この瞬間」もまた、無限に存在し、無限の可能性を持っているのだ。

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■ 観測者は誰なのか…という疑問

「シュタインズゲート」や「魔法少女まどか☆マギカ」では明言されていないこと。
ゆかりが発した強烈な一言がある。
わたしの運命はあなたには変えられない、と。
自分の運命を決めるのは自分である。
ゆかりの台詞を学の知識で語り直すとこうなるのかもしれない。

「自分の可能性を観測できるのは自分だけ。」

それでわ。


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千年女優を観まして

こんにちは。

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「千年女優」というアニメ映画を時間があったので観賞しました。
なんで今まで積んでいたのかわからないね。
崩れることも止む無しで引っ張り出して見ておけば良かった。

簡単に説明すると、伝説の大女優・藤原千代子が自らの過去を語る話です。
しかし話が進むにつれて、"半生の記憶"と"自らが出演した映画の世界"が混じりあっていきます。
どこからが現実でどこからが虚構なのか頭おかしくなります笑

この物語に恋愛要素はあまり感じられなかったですね。
千代子は初恋の男の背中を追いかけているように見えますが、
重要なのはそこではなく、千代子とってのその男の役割だと思います。
通称"鍵の君"ですね。

鍵を持っていない時の千代子はただの凡人ですよね。
どこにでもいるような女学生だったり、主婦だったり。
だけども鍵を手にしている時の彼女はとても輝いて見える。
だったら"鍵の君"は何なんだよ、って言われそうですが、
長年創作や妄想ばかりしている僕には、
あの男が"目標や憧れの象徴"にしか見えないのです。

では、千年の呪いって何なのだろうって思いますが…、
どんな凄い演技の出来る女優だろうが、
どんな素晴らしい音楽を奏でる作曲者だろうが、
この呪いからは逃れることはできない。

"鍵の君"には後生かかっても再会することはできない。
一生を費やしても、望んだ目標・憧れに辿り着くことはできない。
クリエイターの苦悩っていえばかっこいいですが、
呪われてるんですよ、みんなね。
だから、クリエイター(表現者)になんてならないほうがいいよ^^

だからこそ"鍵の君"を失うことは表現者にとっては絶望なのですよ。
そこが終着点、おしまい、最後、天井。
老婆が「千年の呪い〜」って度々言ってくるじゃないですか。
あれは未来の、年を取った千代子の、若かりし自分への想いですよね。
呪われてしまった自分自身への想いです。

まぁ言わずもがななんだけど、あるところまで到達するとね、
その目標に辿り着けないことが楽しいことだと気付くんです。
無理矢理恋愛で例えると、永遠の片想いってやつです。
だから最後の台詞には共感できるし、感動できる。
救われた。

クリエイターは何の為にものを生み出すのか、
表現者は何故表現することを止めないのか、
"鍵の君"を追い続けることに何の意味があるのか。
意味なんてない。

この映画自体も虚構であることに変わりはない。
自分の生み出す音楽も虚構であることに変わりはない。

表現者は自分自身を表現することでしか生きていけないんだよ。



以上、偏向解釈申し訳ないです。

おもしろかったです。


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どこでもドア欲しい

こんにちわ。

数学はおもしろいものです。
モンティホール問題という有名な確率論の問いがあります。
どういう問題かというと、

【問題】

のび太の前に3つのどこでもドアがある。
1つのドアの向こうには”しずかちゃん”が、
2つのドアの向こうには”ジャイアン”と”スネ夫”がいる。

のび太は”しずかちゃん”を当てるとしずかちゃんと遊びにいける。(=アタリ)
”ジャイアン”か”スネ夫”を当てると草野球に強制連行される。(=ハズレ)

のび太が1つのドアを選択した後、
ドラえもんが残りのドアのうち”ジャイアン”か”スネ夫”のいるドアを教えてくれます。
(※ドラえもんが教えてくれたのは間違いなくハズレのドアです。)

ここでのび太は最初に選んだドアを、
残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。
のび太はドアを変更すべきだろうか?


どうしましょうか。
“ドラえも〜ん”は助けてくれないようです^^
素直に考えれば良いのだろうけど、これは確率論の問題。
頭がおかしくなりそうなので答えを。

【解答】

最初にのび太が”ジャイアン”か”スネ夫”のドアを選んでいた場合、
2回目はドアを変えれば確実に”しずかちゃん”がいますよね。

最初に”しずかちゃん”のドアを選んでいるケースは1つしかありませんが(1/3)、
”ジャイアン”か”スネ夫”のドアを選んでいるケースは2つあるので(2/3)、
変更するほうが得なのです。


なるほど理解した。
しかし、これは確率論にすぎませんので。
のび太が”しずかちゃん”と遊べるか否かはのび太の直感と運次第です。

それでわ。


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